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釜山の百貨店の興亡

天秤棒で商品をもって全国を回ったとされる近江商人は
その能力を海外でも発揮して成功していきました。

百貨店という流通業を釜山で最初に開いたのは近江商人の
小林源六の丁子屋です。

この写真は丁子屋釜山店です。

明治37(1904)に京城と釜山に洋服店を作ったのが
最初の店舗展開です。

丁子屋は縫製工場を持ち 自社製作の洋服を販売する
事でコストの削減ができ、現地の好みに応じた洋服を
並べることができるので人気があったようです。

また 洋服の採用の大手であった警察の巡査の制服や
総督府の制服の注文も一手に引き受け大きくなること
ができました。

本店は京城で支店が釜山、平壌、元山、大連、新京

同じく近江商人の中江勝次郎が大正6年(1917)に
三中井呉服店(みなかい)を釜山に作りました。

昭和12年に釜山で最初のエレベーターのついた
鉄筋コンクリートの本格的な百貨店の店舗を
大橋通2丁目に新築し移転しました。

三中井百貨店釜山府庁の近くで 路面電車
主要停車場でもあり釜山で最初の高級感の ある
ショッピングを楽しむ百貨店でした。

(三中井百貨店:名護屋城博物館所蔵)

敗戦で日本人の引き上げという事態に両店ともに消滅することになりました。

朝鮮戦争が終わって2年目の1955年に
南浦洞2街に宝林百貨店が開業しました。

これが戦後の釜山の最初の百貨店です。

広告によると
1階 各種売場
2階 各種売場・美粧院
3階 映画館・食堂・茶房
4階 ゴルフ場・玉突場・事務室
屋上 展望台

釜山日報(1955/4/9)

裏のほうに一部増築して4階まであったようですが
通りに面した側は日本統治時代に作られた赤レンガ
3階建ての建物が本体だったようです。

名称は百貨店となっていますが実質は商品売場より
映画館経営がメインで後に2床の映画館に改装され、
488名収容の大きな
映画館となりました。
1960年代(?)に凡一洞に宝林劇場の専用の建物を
作り 移転しています。

残った建物は信託銀行が使っていましたが取り壊さ
れて、 現在は高層テナントビルに変わっています。

東区凡一洞に移転した宝林劇場は1980年ごろの映画
衰退期に消えていますが、現在も名前はそのままで
テナントビルになっています。(1Fはスーパー)

写真提供:洪永浮ウま

1949年12月に光復通りの角地に開店した
木造4階だてのテナント賃貸店から始まった
美花堂百貨店は地下には映画館もあり、
龍頭山公園に繋ぐ 愛の橋など、釜山市民に
親しまれた百貨店でした。

1969年12月の火事で全焼後も成長を続け、
1984年に本館・別館を合わせて全館を
直営とする百貨店「レッツ美花堂」になりました。

画像は光復路の看板を撮影(2008/07)

1997年「レッツ美花堂」は閉鎖に追い込まれ、
2000年に復帰し、「プラスプラス」の名称で営業が
始まりましたがまもなくこれも倒産しました。

その後 本館はシャッターが閉まった状態でした。

2007年9月 長い間シャッターが閉まっていた
美花堂の建物に足場が組まれ改造が始まりました。

靴の専門店のABC-MARTとしてオープンしました。

道路改修で新しくなった光復路と会わせてロッテ
ワールド
のデパート棟の建設が始まりました。

中区の賑わいが回復するか期待しています。

従来型の市場が商品流通の主体だったのと
高級品やブランド嗜好の波がソウルより
遅れた ため百貨店は作られませんでした。

1981年になって中区新昌洞の大覚寺の近くに
大明材木店が作った「ユナ百貨店」が釜山の
本格的な百貨店です。

(2005/12撮影)
大明材木店は本業が傾いたので、百貨店部門は馬山で鉄鋼業で台頭した、「三美グループ」の傘下になり
「三美ユナ百貨店」と名前を代えることになりました。

2000年になる前は釜山市内に10店舗あった
百貨店が大きく減って三社(ロッテ、現代、
ニューコアアウトレット)にまでなったのは
e-mart,HomePlus等に代表されるディスカウント
店の台頭と消費者の嗜好が変わった為です。

釜山で最初の百貨店ユナも消えました。
全館閉まったままで、地下の有料駐車場
だけの営業になっていました。

2007年 スーパーサウナとして変身し
ユナの名前で営業再開しましたが2009年に
閉店

現在 ウリ銀行と、衣料品店が入る
テナントビルとなっています。

(2010/01撮影)

西面で1974年に大型スーパーとして誕生した大和が
1982年に閉館した大和劇場の跡地に大型店舗の建設を
始めました。

83年5月 「大和百貨店」が開店し釜山の百貨店の
競争時代の幕開けになりました。

これで いままで農地の多かった西面があたらしい
商業地として釜山市民に認められるようになったのです。

栄光の大和百貨店も 不況の大波には勝てませんでした。
2代目は経営失敗の責任で自殺したと聞いています。

直営店ではなくテナントに賃貸する市場形式の
「JUDIES 大和」 にかわりました。
1987年に郊外の地下鉄明倫堂駅と市外バスターミナルに隣接した世原デパートができました。
まもなく閉店し 現在ロッテ百貨店東莱店になっています。

1992年には水営に新世和デパートができ 1994年には海雲台にリベラデパートが 開店し
釜山もデパートの激戦区になりました。
リベラは閉店してディスカウント店になり 現在は「SAVE ZONE」になっています。

大手のロッテデパートが西面にホテルを併設した
大型店を作ってから 主要な繁華街が光復洞から
西面に移動を始めたのです。

韓国財閥の放漫経営からIMFの管理なった韓国は
初めての不況に入りました。

高級志向のデパートはもろにその大波を受け
つぎつぎ閉鎖に追い込まれたのです。

例外として残ったのが高級志向で最大のロッテと
凡一洞の現代百貨店だけです。
中区にも5店舗あったデパートは農協管理の農産物百貨店以外すべて消えてしまいました。

釜山の百貨店の興亡の続きは「新世界とロッテの競争」を準備中


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