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釜山の市電 (戦後)

敗戦で日本人の総引き揚げが起こるまで61台の電車が釜山市内を循環していました。

部品の供給とメンテができないため後を引継ぎした南鮮合同電気(株)が運行できるのは
38台になっていました。

翌年の昭和21年(1946)には稼動数は13台に落ち込み
昭和22年(1947)には8台になっていました。

米国援助の釜山市電 交通機関が壊滅するとの危機感をもった米国は
ロスアンゼルス市が市電を一部廃止してバスに切替
をしたことを受け、昭和25年(1950)韓国に100台
を援助しました。

釜山には32台が供給されました。
路面電車の横に貼ったままの米国のマークが
印象的です


古い車両が多いのと車体製造會社も数社になる
ため部品の供給が煩雑でした。

米国から供給が輸入商社数社を介するため稼動
車両の維持は困難だったようです。

保有車両製造年一覧
製造年車両数
19159
19203
19255
19308
193541
19401
車両実態(1962.9.30)
製造国車両型保有数稼動数
日本大型客車1414
日本中型客車33
日本小型客車1712
米国客車1818
米国HL型客車1414
日本貨車11
1961年 朴正煕大統領は電力会社の統合を
命じたので 南鮮合同電気から韓国電力
株式会社に電車の経営が移りました。

1963年に富士車輌から新車両10台を購入し
8両はソウルに2両は釜山に配置されました。

路線

停留場の名前は韓国式に改められましたが 日本時代の
路線を1950年台までそのまま利用しました。

府庁前から寶水川まで新しく埋立でできた幹線道路の
昭和通り(中央路)に長手通り(光復路)から線路を移動した
新路線は新しいのですが他の線路は古いまま利用でした。

老朽化した線路での脱線事故や増加する
自動車との衝突などの事故が増えてきました。

写真は1956年8月8日の釜山日報
1962年の釜山電車路線図(釜山市史1366頁)

老朽化した大廳線は整備するコストに
合わないため1953年に廃止され環状線は
消えました。

1953年の大火で焼けた線路が修復されず、
廃止になった話も聞いています。
お分かりの方ご指導下さい。

1961年 電気会社3社の合併が行われました。
釜山の電車を運営した南鮮合同電気株式会社は
韓国電力株式会社にりました。

1962年 西面と 西面車庫間と東莱線の一部の枕木を交換

1963年 西面から釜田-新佐水営の間を複線に増設 

電車の利用者は増えていましたが 道路占有料の
釜山市への支払いが売上げの11%を超え収支が悪化
値上げに追いつかないとして、自動車時代の波に
対抗することができませんでした。


釜山市に電車事業を移管し、1968.5.20付けで
釜山の電車事業廃止になりました。

写真は釜山日報から:最後の電車が仕事を
終えて西面車庫に戻るのを迎える社員たち

電車は覚めることのない眠りにつきました。

東亜大学に保管されている車両

釜山の市電(戦前)


備考:1950年のロスアンゼルスの市電の廃車は約300台
100台は韓国、100台はチリ、100台はエジプトに無償供与されました。
ソウルには68台が供給されましたが 翌月に始まった 朝鮮戦争でソウルは戦場となって
ソウル市電は再度 壊滅状態に近くなりました。
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