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釜山競馬倶楽部
ハリヤー基地

  

釜山の東莱郡西面にあった釜山競馬倶楽部の 戦前の姿です。
釜山競馬倶楽部

大正13年ごろ釜山で競馬が流行りました。
大正14年 釜山日報社の主催で春と秋の2回
釜山競馬会を開催した事から始まります。

大正15年 釜山日報社の創業者である芥川正が
発案して釜山の名士に競馬倶楽部の設立を呼び
かけ、芥川正を代表として、 香椎源太郎西條利八
武久捨吉西濱六平らが発起人として競馬組織の
設立計画を始め、昭和2年7月朝鮮総督府から認可を
受けました。(資本金4万円)

画像:新釜山大観(昭和9年)より
果川市の太虚さま提供

釜山競馬倶楽部

当初は専用馬場は無いので東莱府蓮山里に 暫定馬場を
設けました。

昭和3年 理事長の芥川正が亡くなると、陸軍騎兵少佐
だった 芥川浩が軍籍を辞めて(昭和4年)釜山日報社の
専務として入社。

昭和5年 芥川浩が釜山競馬倶楽部の理事長に就任
すると組織を拡大して会員を増やし、東莱府西面里に
専用馬場を造りました。

画像:新釜山大観(昭和9年)より
果川市の太虚さま提供
釜山競馬倶楽部の資金では専用馬場の土地買収費用が不足するので釜山の資産家である 迫間房太郎
組合長とする匿名組合を設立、組合が土地買収、設備建設し株式会社の競馬倶楽部に賃貸しする
経営と資産を分ける システムで運営されました。

昭和7年10月 朝鮮総督府から競馬令が公布され、昭和8年1月から組織を競馬令に準拠して株式会社から
社団法人釜山競馬倶楽部に改変しました。

事務所:釜山府栄町一丁目23
馬場 :釜山府東莱郡西面

役員(昭和8年)
理事長:芥川浩、常務理事: 中村高次
理事:山野秀一、水延清四郎、迫間一男
幹事:安田豊太、書記長:西濱六平

釜山競馬倶楽部

昭和20年(1945)9月 日本は米国との戦争に
敗れ降伏しました。
釜山に進駐した米陸軍第40師団は主要施設の
接収を初め、米軍第98軍政団司令部が釜山の
軍政を担当し、軍政府統治が始まりました。

釜山競馬倶楽部の馬場だった施設も接収され、
ハリヤー基地の名前で最近まで使われていました。

米軍の編成替えで引揚が始まり、ハリヤ基地も
韓国政府に返還されました。

(2010/06撮影)
釜山競馬倶楽部

2010年 基地内の順路と指定された家屋の
見学ができるようになりました。

赤い線の数時間コースと青い線の半日コースの
地図とパンフが作られ歩いて廻る事が出来ます。

左側の中間にU字に凹んでいる場所が、戦前に
釜山競馬倶楽部の建物があります。

クリックで拡大

(2010/06撮影)
釜山競馬倶楽部

釜山競馬倶楽部だった建物です。

米軍は将校倶楽部として使用していたようです。

(2010/06撮影)
釜山競馬倶楽部

玄関を入ると当時の馬券売場の窓口が現在も
そのまま残っています。

(2010/06撮影)


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