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居留民團一覧 

居留民團名 所在地 所管理事廳名 設立年月日 地域
京城居留民團 京畿道 京城理事廳 明治39年8月15日 京城城内
敦義門(通称西大門)及び
崇禮門(通称南大門)外一帯の地域
弘済院、鞍硯の東麓、阿硯、
青坡(四契の一部を除く)
瓦署(統監府鐵道管理局用地を除く)
梨大院、典姓署及び葛月里を其の境界とす
輿仁門(通称東大門)外一帯の地域
駱山の東麓、紫芝洞、鳳羽廟(通称東廟)
往十里及び大硯洞を持って境界線とする。
但し其の各地は本地区に属す。
仁川居留民團 京畿道 仁川理事廳 明治39年8月15日 仁川日本専管居留地一圓
仁川支那専管居留地一圓
仁川各国居留地一圓及び其の境界線より
十韓里以内の地
釜山居留民團 慶尚南道 釜山理事廳 明治39年8月15日 岩南半島の西方無名の渓流口より天馬山
九徳山、新岩山の分水嶺に依り新渓川の
右岸第二支流口に達し之より峯五山を経て
黒崎に達する分水嶺を以って其の境界線と
する。但し冬栢島、絶影島は本地区に属す
鎮南浦居留民團 平安南道 鎮南浦理事廳 明治39年8月15日 鎮南浦各国居留地一圓及び其の境界線より
十韓里以内の地
群山居留民團 全羅北道 群山理事廳 明治39年8月15日 群山各国居留地一圓及び其の境界線より
十韓里以内の地(錦江北岸の地を除く)
平壌居留民團 平安南道 平壌理事廳 明治39年8月15日 東方 大同江より繁村の北岸より大同江岸を
距る三百間の地を限り南方永済橋に至る

南方 永済より大同江の右岸に沿ひ大同
江と普通江と合流点に至る。

西方 上水口門外の道路と義州に通じる
国道との交差点以南は普通江の左岸に限り
以北は前記国道を経て其の国道と北方の
玄武門に通じる道路との交差点に至る

北方 前記交差点より玄武門に通じる
道路を経て玄武門に至る城壁に沿ひ
牡丹台及び陵羅島の北端を繁村の 北端に至る

木浦居留民團 全羅南道 木浦理事廳 明治39年8月15日 木浦各国居留地一圓及び其の境界線より
十韓里以内の地
元山居留民團 咸鏡南道 元山理事廳 明治39年9月1日 元山日本居留地一圓
同居留地外一帯の地域
徳源郡葛麻浦、徳源邑、元山里及び陽日里を
以って其の境界線とす。但し其の各地は
本地区に属す
馬山居留民團 慶尚南道 馬山理事廳 明治39年9月1日 馬山各国居留地一圓及び其の境界線より
十韓里以内の地
大邱居留民團 慶尚北道 大邱理事廳 明治39年11月1日 大邱城内一圓
大邱城外一帯の地域
琴湖江、晩村、黄青洞、東掛津、唐洞及び
上里を以って其の境界線とす。
但し其の各地は本地区に属す
龍山居留民團 京畿道 龍山理事廳 明治40年9月15日 楊花鎮より西江、孔徳里を経て京城居留
民團境界線に接し西氷庫に至る漢江右岸
一帯の地域但し其の各地は本地区に属す
新義州居留民團 平安北道 新義州理事廳 明治41年2月15日 敏浦洞の四方無名の入江口より弥勒洞の
南端を経て京義線鐵道線路第二鐵橋の東南
端に達し之より東北三百間の地点を経て
上端洞と下端洞との境界線に接続し同境
界線に依り鴨緑江の左岸に達する線を以
て境界とす但し線内各地は本地区に属す

居留民團事情要覧 統監府地方部 明治42年より: 十韓里は日本の約1里(朝鮮の尺量)


釜山居留民団長 石原半右衛門、 京城居留民團民長 熊谷ョ太カ、 仁川居留民團民長 富田耕司、 平壤居留民團民長 大庭貫一、 大邱居留民團民長 渡邊村男、 馬山居留民團民長 前田榮一、 開城居留民總代 長野普、 新義州居留民団長 岩永重華
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